徳島県立近代美術館にて開催中の〈遊ぶ〉シュルレアリスム展において、
5月11日、展覧会を監修された巖谷國士先生の講演がありました!
演題は「シュルレアリスムと遊び」
講演会当日は小雨がふっていましたが、
関東から、関西から、中国地方から、四国は高知から……徳島県内だけではなく、
わざわざ遠方よりお越しの観客も多く見られ、
なにより★ぜみのみなさんも駆けつけてくださり、きっと、これから
展示作品について……
★講演について……
著書『〈遊ぶ〉シュルレアリスム』(☜展覧会図録)ついて……
展覧会@徳島県立近代美術館と徳島について……
ご感想・その他、よせてくださることと思います。
それに際して、
HP事務局では、「展覧会〈遊ぶ〉シュルレアリスム★だより」という
ページを作っておきました!
5・11 巌谷先生ご講演ー「シュルレアリスムと遊び」―ご報告!
★先生の新刊『〈遊ぶ〉シュルレアリスム』を手にしてから、待ちに待っていたご講演の日。
山のなかにある徳島県立美術館は、この展覧会にぴったりの不思議な建物で、地元の方のみならず全国から観客が集まっていました。
「遊び」という視点でシュルレアリスムを語り、展覧会をつくるなんて、日本初の画期的なことですものね!
「遊び」とは何かを、「労働(エンジニアリング)」と対置させくらべながら、アリとキリギリスの物語もまじえて明らかにしていく★先生。つねに明日に備える「労働」の人生のままでは、最終的に死んでお墓に入ることに備えるだけになってしまう、というお話は衝撃的でした。
それでは「いま」を生きることができなくなってしまうのですから!
「遊び」は人間に絶対に必要で、文化を構成してきた創造的なものである……と「ブリコラ—ジュ(寄せ集め、日曜大工、やっつけ仕事とも訳される)」の視点から語っていきます。
そのあたりに偶然ころがっているものを寄せあつめて、即興で組みたててものをつくること……縄文人もボルツァーノのアイスマンも、もともと人間は森のなかでそうして暮らしていました。
シュルレアリスムも〈ブリコラージュ〉の要素が強く、コラージュやフロッタージュでは、素材のほうがそこらにあって、現実を描写するのではなく、自らの手で新たな現実をつくってゆけるのです!
エルンストは第一次世界大戦を体験し、一度死んで蘇生したという感覚を得たそうです。
コラージュも一度切られて死んで、貼りあわせることで別の「生」がうまれる、というお話にははっとしました……戦争や大災害という現実を体験してしまったら、与えられ教育されてきた現実が希薄に見えてきますよね。人間には独自に見ることの権利も、能力も、快楽もあって、私たちの目こそは〈遊ぶ〉ことができる、そしてそれをつくるのは私たちの「手」である……と語られたときは、感動につつまれました。
いまを生きるわたしたちに、まさに直接かかわること! 主義も様式もなく、現代における人間の生き方を追求する……だからシュルレアリスムはいまもずっと続いているのですね!
この本の表紙は、マン・レイの手のオブジェで、しかもカバーをとればトワイヤンによる手のカタログ! 手の作業から出発したシュルレアリスム、目と手がわたしたちの「遊び」につながる……これは読者を〈遊ぶ〉ことへと誘う扉です。
本に載せられた数々の作品(しかもそのほとんどを展示会場で見ることができます)を、★先生がスライドに流して解説してくださったのもすばらしかったです!
作品の読みときなど、★先生の視点にはだれもがが驚嘆! そして興奮さめやらず、くりだした会場のそこらじゅうにいた〈人間みたいなもの〉たちのすばらしさといったらもう……!(okj)
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