編集者として巖谷先生や澁澤さんと長年つきあってこられた安藤さんと巖谷先生が対談を行い、巖谷先生は澁澤さんをめぐる世界を、ますます広く深く語ってくださいました。
生涯を通じた澁澤さんの人物像と作品の変遷、全体。ブルトンと同様に特異な「私」と、澁澤さんのキーワードとしても読みとれる「現代性」。
アナロジーによって「私」を探求し、似たものとして、サドも、フーリエも、南方熊楠や稲垣足穂や花田清輝も、プリニウスも、東洋も西洋もつながってゆく。
ブルトンとの出会いによって変容し、その先にはドーマルの類推の山も見えていました。
エルンストのコラージュも、無意識的に文化的なアナロジーが働くから、われわれも物語が読みとれるとおっしゃる巖谷先生。
お話は民俗学や人類学にまでもおよび、これらのシュルレアリスムとしてのあり方を示唆されます。
また巖谷先生自身もアナロジー的人間といえ、澁澤さんのなかに似たものを感じていたそうです。今回の澁澤龍彦コレクションの出版は、文学史上にアナロジーによって澁澤さんを残す試みであるとおっしゃいます。
まさにこの本を手にしたわたしたちは、近代的自我や境界やテクノロジーなどのある種の病理から解放されます。巖谷先生が新たにひらく澁澤さんのあり方は、現代を生きる人間にとって、有効です!
そして巖谷先生がまた新たに明かした「記憶のプール」という視点から、体験としての記憶、旅の記憶、そこにはたらくアナロジーの旅が、さらに続いてゆきました!
(okj)