4月23日 感想★巖谷國士×シュルレアリスム展@国立新美術館

★先生のところに集まった講演後の感想を、

みなさんにおことわりしたうえで掲載させていただきました。

(ぜみ掲示板より)

投稿者:okj 
投稿日:2011426()080226

満員423の講演から縄文人夕食会、そしてこの掲示板を見て、まさにここが共通の場所であることを感じています。
心に森やセリュジエの苗木を持つ、すてき・へんてこ・おもしろ・神秘・謎・マダム・美女・な縄文ぜみ人たちが集まり、先生が宇宙のはじまりから震災後の 世界まで、すべてを有機的・偶然につなげてどこへでも旅できる!
会場が高揚するなか、先生が展覧会のなかからこれは!という作品たちを見せてくださったのも本当にすばらしかったです。みなで同じ作品を見ながら、先生の視点にたまらなく切なくなったり、爆笑したり。このライヴ!
森のようなチャペルで、またこうした共通の体験ができることに高揚がとまりません!


 

(ぜみ掲示板より)

投稿者:M.かとう

投稿日:2011425()170158

土曜日 の国立新美術館での先生の講演、とても興味深く面白く聴かせていただきました!ありがとうございました!シュルレアリスムについて書かれた書物は星の数 ほどあるけれど、先生の紐解くシュルレアリスムはちょっと凡百のものとは様相が違っていて、実に刺激的!満員の会場全体もなんとなく高揚した雰囲気に包 まれ、その後、雪崩式に突入した食事会も、自然に大変盛り上がって、でたらめさも大いに加わり、いつもにも増して美味しい、楽しい会になりました。今回も 幹事役を引き受けてくださって山本さん、ありがとうございました!

3.11
の震災の後、連日のようにテレビで流される被災地の姿を見て(それはまさに剥き出しになった強度な現実を目の当たりにしているかのようで)言葉を 失い、それに続くフクシマ原発のいつ終わりをむかえられるのかまるで見当がつかない惨状に不安は募るばかりだけれど、ここから新しい世界を作り出す(復 旧、ではなく)のに、シュルレアリスムは私たちに何かしらヒントを与えてくれるかもしれない、と、直感的にぼんやり考えていました・・・。

第一次世界大戦で焦土と化したヨーロッパ・・・多くの犠牲者を出し、傷つき、疲弊しきった人々の中で、既存の価値観ではもうどうにも立ちゆかない、異なる 価値観を見つけ、新しい世界を作り出そうとした若きブルトンのもとに、共鳴して集まってきた芸術家たちによって、シュルレアリスムは誕生し、やがて爆発的 にシュルレアリスム運動として展開していったわけですが、自然からの決定的なしっぺ返しをくらい、文明の儚さな・危うさを思い知らされている現在の日本の 困難な状況は、大戦後の当時の状況にある意味非常に似通った局面だと思われます。そういう意味でも、この時期での巖谷流の変幻自在でフレキシブル、『生』 なシュルレアリスムの解釈は、とても刺激的で魅力的でした!

今回は「シュルレアリスムと美術」という題目での講演で、オブジェ・偶然・共通の場所、という3語をキーワードにお話は展開されましたが、ポンピドゥーか らかなりの点数の美術作品が来ていて、展覧会自体も見ごたえあり。芸術家の創造力の中から生み出されたはずなのに、この震災後に観た風景のアナロジーかと 思われるようなものも数多くみられ(津波後の被災地の姿とタンギーの空間との相似!原子力建屋とマグリットの描く宙に浮かぶ立方体の相似!など)、人間の 想像力の不思議さを改めて感じました。おとぎ話の成立、をぜみ生なら誰でも想起するでしょうね。

個人的には、若い頃に短い期間ですが暗黒舞踏なるものに没頭し、自分の「内なる野生(自然)」を探り、それをどう形にして踊りとして表現するのか、と格闘 していたことを思うと、シュルレアリスムと身体(表現)、というテーマも改めてじっくり考察してみたいと思いましたし、ぜみ生の中に舞踏やダンスを続けて いる人たちが意外に多いのも納得、感慨深く思っておりました・・・。

5
月にも先生の講演が続きますが、そちらも楽しみになります!先生がいらっしゃってのことですが、また、こういう場が共有できるぜみ生の仲間ともお会いできるのを楽しみにしています。


 

(ぜみ掲示板より)

投稿者:あだち

投稿日:2011424()213414

国立新美術館で開催中のシュルレアリスム展の先生の講演会がありました。
2
時間ちょっとで、より視界がクリアになったような体験でした。

偶然のビックバンにはじまる永遠の不思議な膨張、そんなまるまる偶然世界自然。最近よく聞く「想定外」が使われているのは、つくづくおかしいなと思います。
地震、津波という自然の運動で、〈物〉の違う様相があらわになりました。津波にさらわれ流され寄せ集まったガレキの山、全部人間が使ってきた物の集まりだ けれど、意味役割機能もなくなって、自然界にかえったオブジェたちであり、その一面は元々あるもので、シュルレアリストたちが見つめてきたもの。
同時に、名前のある家々がなくなった土地は、誰のものでもないただの自然空間で、デ?キリコやイヴ?タンギーが提供した共通の場所に通じるものとわかりま した。無名で普遍の、共通の場所は森の中にもつながっていく。

すごいのは、いまシュルレアリスム展と森と芸術展が同じときに開催されていることですよね~モノの自然世界と森の自然世界。行き来できる機会は貴重ですね。

夕食会はカザーレ デル パッチオコーネ
美味すぎる料理とバカすぎるシュルレアリスム絵画を思い出で至福のときでした~、山本さん、皆さんありがとうございます。

来週の水曜日はシベールだ~!コローの森を見て『森と芸術』を読んだあとで、また見えるものは違うはず……


 

(ぜみ掲示板より)

投稿者:はせ

投稿日:2011423()233120


すばらしかったですね~。これまでに自然の観点からシュルレアリスムを語ったひとはいない!しかもオブジェ、偶然、共通の場所でという三つのことばで語えるなんて!!でも妙に納得しました!

今日は先生のマニエリスム的な傾向が背景に、野生人(ケルト人、縄文人)の側面が前面にでていたような
森のような講演だったと思います。ありがとうございました。

また食事会も縄文人の集まりのようでしたね!楽しかった。やまもとさんのおかげですね、ありがとうございました!