台風12号の長びく影響で、北海道にも大雨が降りつづきました。
それでもオープン当日の9月3日は、午前中からときおり晴れ間も見えて……
美術館にも朝から多くのお客様がお見えになりました!
札幌芸術の森25周年を記念した特別展「森と芸術」が、いよいよ札幌の地に凱旋です!
森、森、森……本当に素晴らしい環境です。
札幌芸術の森美術館★報告その1
列島を旅する「森と芸術」展が、とうとう最終会場の札幌までやってきました。
札幌芸術の森25周年を記念して、森にかんする展覧会を!……ということで企画がはじまった、「森と芸術」発祥の地でもあります。まさに凱旋!
巡回するたびにその土地その土地にかかわりのある展示がなされ、土地ごとの生命をおびて、まったく異なる様相を呈する「森と芸術」。いよいよ北の森へ、未知の予兆にみたされた旅の一行は、台風という「自然」にふたたび出会いながら、札幌芸術の森をめざしました。
そしてあらわれる森、森、森。札幌はなんて森や庭園の多い町なんでしょう!
それも、いままで見たこともないような北方の樹木たち。
エルブ、リラ、トネリコ、オオフキ、イチイ、エゾミズナラ、アカエゾマツ、エゾハンノキ、シラカンバ、エゾコノリンゴ……たくさんのへんてこでかわいい木の実やまつぼっくりが本当に降ってくるのです。下からはあらゆる形のキノコがニョキニョキしています。
空気が、ただよう森の成分が、ちがいました。これが北方の森なんだ、と胸うたれました。さわさわさわさわとざわめくポプラの美しさが、体から離れません。
ポプラについては、★先生が「花と樹の話」に書かれるそうです!楽しみ!
広大な森と野外彫刻に囲まれた会場のなかには、まるで林間の空き地のような、広場ができていました。
エルツのクリスマスピラミッドを中心にして、かわいいカーテンのかかったメルヘンと絵本の広場に、
エルンストやミロやマグリットやラムが遊ぶ広場。庭園のようにボマルツォ写真がぐるり、森の小径のように岡本太郎の写真がならぶ……
そう、ガレの乳白色のキノコ文花器には絶妙な照明によってついに光が入り、クモの巣の全容が浮かびあがったのです!
クモの巣には葉っぱも降りかかり、底部からも緑の木漏れ陽を反射した草の叢がきらめいていました。
ド・ラ・ペーニャの森などは、ますます作品たちに陰影が美しく投げかけられ光と影の空間となり、
最後に砂澤ビッキの「風に聴く」に対面します。巨大です。巨大なエゾマツがどかんと一部屋に!!
まわりで木の妖精たちが、ちょっと背中をまるめてなにやら話しこんでいる様子。
でかくてかわいい鳥のトーテムポールもいます。
理屈ぬきの、木というObjetのよさに、体全体がゆさぶられました。何千という鑿(ノミ)の跡の木目が、雨だれの波紋のように気持ちよい!
このアナロジーは現実となり、野外の彫刻「四つの風」は、風雪の鑿にさらされるまま二本倒壊したのです。
倒壊したエゾマツがさざなみのようにはらはらと崩れ、大地に帰っていくさまは感動的です。
この圧倒的な北方の森や大地にあって、ボーシャンの妖精たちもいっそう活き活きとしてストレスなんてないもの!に見え……「森のカメラ・オブスクラ」の標本たちなど、すっかり生気を帯びてミクロコスモスの生成をはじめていました。水を得た魚ならぬ、森を得た剥製だ!
★先生は観客と展覧会と一体になって、講演をはじめられました。(okj)
札幌芸術の森美術館★報告その2
★先生講演録「森と芸術-神話・メルヘン・シュルレアリスム」
日本でもっとも多くの原生林をのこしている北海道。
大都市・札幌は森林都市であり、そこではじまった★講演は、ずっと森の香りがしていました。
★先生が札幌に来るとかならず訪れるという北大植物園。
先生のお話を聞いて私たちも行きましたが、
樹や花やキノコや土や水や苔など、森のあらゆる成分が全身にふりかかる、濃密な空気に満ちたところです。
いまにも動きだしそうなブナの大木、紳士用の雨傘をひろげたぐらいの大きなオオフキにかこまれて、小さなコロボックルが見えてくるかのよう。
あるいはこの場所にあっては、すでに私たちがこびとになっていることに気づきます……。
★先生が語りはじめたアイヌのお話から、なぜこんなにもたくさんの森がいまも豊かにのこっているのかがわかりました。
アイヌの人々は、狩猟採取の生活をいとなみ、葦やススキで屋根をふいた住居をしつらえても、定着することなく、めぐる季節と自然の変化にしたがって、移動をくりかえす「森の民」でした。
じつにさまざまなかたちで森を利用し、森と生活していました。
かれらの特徴は、森を使うけれども、けっして大規模な農耕や焼畑、乱獲をしなかったことです。
木を切るときは、その環境に必要なくなった木を選んで切り、あるいは木に接ぎ木をし、木のはえ方が疎になれば挿し木をし、つねに森が活性化するように考えていました。
森と自分たちがそろって生きのびていけるような知恵をもち、両者は共生していたといえます。
こうしたあり方は、日本列島に住んだ縄文人ともよく似ていて、アイヌ民族にはよく似た土器も見つかります。北大植物園内にある、博物館や北方民族資料室でもそれらは見ることができ、アイヌと縄文人のあいだに、交流もあったことでしょう。
明治以降、同化政策におかれたアイヌは、土地をあたえられ農耕を強いられ、森という楽園からついにはなれた生活を送ることになってしまいました。
それでも彼らが守ってきた森は繁茂しつづけ、いまも文化や血、彼らの「森の記憶」が北海道の大地に脈々と受けつがれているのです。
森=楽園の神話はどんな国にもどんな民族にもあります。分別や理性を身につけて、そこをはなれてしまうことが「文明」。
でも人間はメルヘン(おとぎばなしや昔話)に、森でくらしたころの記憶を保存してきました。
メルヘンには作者がおらず、特定の人が特定の時代に合理的に書いたものではありません。さまざまな土地で、変化する自然のなかで、ながく語りつがれ……。「昔むかしあるところに」と、どんな時代のどんな場所にもあてはまる普遍性を獲得したのです。それはつまり、おのずと抽出された人間にとって本質的な「ものがたり」なんですね。
理性を追求したはてに第一次世界大戦が起こり、その結果、思いもかけない大量殺戮があり、そこでふたたび人間に「神話やメルヘンを回復しよう、野生をとりもどそう」としたのがシュルレアリスムだった。
教育であたえられた現実ではなく、もともとそなわる「野生の目」で、本当の現実を見よう……。
こうした★先生の講義に誘われ、ながい眠りから覚めて輝きだした私たち聴衆の目、目、目。
縄文時代の土器には写実なんてどこにもないけれど、これぞ森の象形、生命力すら感じさせ、まさに森の芸術、森の超現実ではないですか!
「森と芸術」につねによりそってきたセリュジエ描くアンヌ・ド・ブルターニュ……写実を捨てたメルヘンの一場面のような絵ですが、これこそ本当の森の絵だとあらためて感じました。
背景に文様化された森は、ケルト人にとってもっとも大事な木oak(かしわの葉)です。騎士のささげる小さな若木が、将来、広大な森に育つであろうことが、私たちの目にも「予感」として迫ってきます。
展覧会図録も兼ねた書物「森と芸術」の表紙にこの絵が選ばれたこと、本当にすばらしいです!(P.250の★先生の後記とともに)
講演の最後が、砂澤ビッキのお話だったこと、これも★先生の魔法でした。
列島をめぐった「森と芸術」がついに北の大地までやってきて、本州とは木相のまったくことなる森のなかで、アカエゾマツの巨木と出会う。
しかもこの巨大な木のオブジェは風雪にさらされて倒壊したり、朽ちたりしている……木の変化の過程が芸術になっているのです。
この作品には北の大地に生きる人と自然との交流の過程がこめられています!
ビッキさんは、自分は人間として彫っている、と語ったそう。
カナダによばれ、インディアンと生活したこともあるそうですが、彼らのトーテムポールの文化と、言葉なしに瞬時に通じあってしまったのではないでしょうか。すばらしいアーティストです。
「森と芸術」の該当ページ(p.195, 215)をぜひ読んでみてください!
森と展覧会と観客と一体になった講演、すごかった!
ほんとうにありがとうございます!
芸術は人間の一部、人間は森の一部、自然はつねに変化していて、ときに恐いものだけれど、人間はそのなかにいるということを感知していたい。
「森と芸術」からさまざまなつながり、アナロジーが発生し、私たちの生き方にかかわってくると思います。
展覧会の旅はここ札幌までですが、書物「森と芸術」はずっとのこります。それぞれの方がくらすそれぞれの土地で、この水先案内書を手に、旅はつづくでしょう。もう歩きはじめてる方、たくさんいらっしゃるのでは!? (okj)
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trois (金曜日, 09 9月 2011 17:05)
okjさん、ほんとうに素晴らしいリポートありがとうございます!
まるで札幌に行って講演を聞いているよう、展覧会を見ているような気がします。
詳細な記録として将来まできちんと残りますように!
okj (土曜日, 10 9月 2011 00:28)
troisさんありがとうございます!
そういっていただけてほんとうにうれしいです。
あの森の空気、作品たちの輝き、そこからつむがれる★先生のお話、
一粒でも逃したくない~~と感じていましたので!