前期★ぜみを終えて

2012年前期★ぜみの「総括」に代えて、以下に前期ぜみの感想レポートのひとつをご紹介いたします!

 

 

「旅とシュルレアリスム」をテーマにした今期のぜみでは、テオ・アンゲロプロスの映画をとにかく上映しつづけたわけですが、冒頭からこれはぜひ言っておかなければならないと思うのは、ソフト化されているものだけとはいえ、アンゲロプロスの全作品を見返すなんていうことをしているのは、世界中でもそんなにいないだろうということです! なんという贅沢!「シネフィル」などというひとたちは、あるいはそんなことをしているのかもしれませんが、部屋でひとりもくもくとDVDを見る、なんていうこととはわけがちがう。ぜみで、映画をひとつの出来事として共有できる環境で、それをやったわけです。形式的な追悼などではけっしてない、いまアンゲロプロスを見ることの意味があった、あるいはその意味が生まれていく過程にある、偶然としての必然に立ち会ったのだと思っています。
 在りし日を経験しているわけではないにしても、たとえばこんなことが、失われゆく(あるいはもう「失われてしまった」と過去形でいったところで、残念ながら現状に即していないとはいなえないかもしれない)大学の豊かさなのだろうし、ゼミのすがたなのだろうと、毎週水曜日のたびに思いを深めていったしだいです。制度的なものと「コミュニスム」が同居しえたのが、あるいは大学であったはず、と言えるかもしれません。
 ともかく、形骸化していく一方の大学のすがたとうらはらに、制度的なものと関係なくとも、ひととつながっていけるのがぜみなのだなと、半期が終わっただけなのにずいぶんいろいろなことがあったものだと、ふりかえりつつ思っています。





 
 さて、監督の「暗殺」によってぼくたちがそれを目にする機会を奪われたアンゲロプロスの遺作「L'altro Mare (The Other Sea、『もうひとつの海』」は、どうやらベルトルト・ブレヒトの戯曲『三文オペラ』をその題材のひとつにしたものだったといいます。ベルリンからナチスの手を逃れ、ウィーン、プラハ、チューリッヒ、アメリカと、亡命生活のなかで、それでもそのつど戯曲を発表しつづけ、戦後は自身が主催する劇団、ベルリナーアンサンブルをひきいてヨーロッパの各地を巡る、まさに「旅芸人」だったブレヒト。そのブレヒトの演劇についてヴァルター・ベンヤミンは以下のように書いています。


 ブレヒトは自分の演劇を、狭義での劇的演劇と対比させて、叙事的と呼ぶ。(...)叙事演劇の技巧とは、感情移入ではなく、それに代わってむしろ、驚きを呼び醒ますことなのだ。定式化して言えば、観衆は、主人公に感情移入することではなく、それに代わってむしろ、主人公の振る舞いを規定している状況に驚くことを学ぶ、これこそを期待されている。
 ブレヒトの考えるところでは、叙事演劇は筋を展開させるよりも、状況を表現しなければならない。だが、ここに言う表現とは、自然主義の理論家たちがいう意味での再現のことではない。むしろ、なによりも重要なのは、まずもって状況を発見することなのだ。(ヴァルター・ベンヤミン「叙事演劇とは何か」)


 特定の個人としての主人公に感情移入させるのではなく、それらの主人公たちをとりまく状況を発見させること。このような劇についての考え方は、アンゲロプロスの映画にもそのまま当てはまるものではないでしょうか。時間の折り重なった魔術的な長まわし、作品間を横断してあらわれるさまざまな符合といった手法をとおしておりなされる彼の全作品に通底しているのは、まさにこの「状況を発見させる」こと、主人公たちをとりまくギリシアの歴史をそれとして描き出すことであったはずです。
 ベンヤミンはまた、ブレヒトの叙事演劇とは、「死者を生者から分け隔てるように、俳優たちを観客から分け隔てている深淵」を埋めてしまうものであり、叙事演劇においては「舞台は教壇に転化」すると述べています。仰ぎみるべきものではなく、あくまで観客とともにあろうとする舞台というわけです。
 「教壇」としての映画をとおして表現されるギリシアの歴史。アンゲロプロスの最新作のなかでそれがどのように表現されることになったのか、残念ながら今となっては永遠に知ることはできないわけですが、同時期のインタビューから、その一端を垣間見ることはできます。『もうひとつの海』を製作している時期のあるインタビューのなかでアンゲロプロスは、こんなふうに言っていたのでした。


 問題は金融が政治にも倫理にも美学にも、全てに影響を与えているということだ。これを取り除かなくてはならない。扉を開こう。それが唯一の解決策だ。(...)金融が全てではなく、人間同士の関係の方がより大きな問題だと私たちは想像できるだろうか。
——テオ・アンゲロプロス『毎日新聞 2012年3月24日朝刊』インタビュー抜粋より


 「扉を開こう」。あるいは別の箇所では「地中海諸国が扉を押し開く最初の地になる」とも「扉は壊される」とも言われている。詩的で暗示的な表現を手放すことなく言われたこういった発言をどう受けとめるべきか、ともかくにわかに意味を決めてしまうことは慎むべきでしょうが、それが、遠くは地中海という場所の神話や歴史を、近くはこれらの地域が陥っている経済危機をふまえてのことであることは指摘できるでしょう。
 ここ最近の報道によれば、IMFはギリシアへの財政支援を停止するとも、ひとまずは九月まで支援の是非をめぐる協議を継続するとも言われています。いずれにしてもこの秋をさかいに、ギリシアのEUからの離脱と経済破綻はますます現実的になってきていると言えます。
 こういった情勢のなかで、さっそく、IMFと連携して緊縮政策の旗をふっていた政治家の家に、ペンキや石が投げつけられ、車が燃やされる。その方法を正当化できるかどうかの議論はおくとしても、ともかくもこのスピード感、手続きのなさ!ほどなくしてドイツの新聞に送られた声明には、「ギリシアの人々の暮らしを極限までひどくした」かどで襲撃したのだという犯行の動機が述べられ、署名には「ルカニコスの仲間」とだけあったそうです。
 このニュースを報じた朝日新聞によれば、この「ルカニコス」とは「反政府デモを鎮圧する警察に向かってほえることで有名になったアテネの野良犬」だとされていますが、おそらく「野良犬」といっては事態を正確にとらえたことにはならないはずです。おそらくは、彼(/彼女?)は、誰が所有するというのでもなく、アテネの共同体のなかで飼われている、暮らしている犬だと言うべきでしょう。だからこそ、犯行グループはルカニコス(「ソーセージ」という意味らしい。好物かしら。)の「仲間」を名乗ったのだと考えられます。
 EUを抜けたギリシアがどうなるか、それをいまここで考えてもしかたのないことだと思います。ですが、乞食すがたに身をやつしたオデュッセウスに名犬アルゴスがいたように、こんな犬があたりまえに生きていける共同体が存在しているかぎり、ギリシアの先行きは暗いばかりではないはずです。一匹の犬に、「金融が全てではなく、人間同士の関係の方がより大きな問題」だと考える者たちが存在していることのしるしを、アンゲロプロスの言う「扉が開く」ことのしるしを読んだとしても、それほど穿ちすぎではないはずです。

 日本ではこの10月にIMFの総会が開催されます。この国にも「ルカニコスの仲間たち」が現れるのか。どうなるかはまだわかりませんが、いずれにしろ、日本におけるこの間の大衆運動の高まりは指摘できると思います。
 そのなかで焦点化されているのは、とうぜん原発問題です。見やすい例としては、毎週金曜日の首相官邸前での抗議行動があげられるでしょう。数え方にもよりますし、数字自体にはさほど意味はないとはいえ、いまやそこに集まる人の数は数十万という規模になっています。しかし、ちょうどようやくマスメディアでもまともに報道されるようになったのをさかいとして、警察と官僚化した主催者団体(やれ「車道に出るな」だ「もう解散しろ」だ)との板挟みのなかで、行動が、ひとつのイベント、作られたお祭りとなっているような感も漂ってきています。いまや週末のたびに、東京のどこかではかならずデモがおこなわれているといった状況ですが、それらにしても、どこかこなされるべき仕事といった風がある。
 そんな東京の現状と対をなすように、この7月1日の、福井県の大飯原発ゲート前での原発再稼働にたいする抗議行動はすさまじいものでした。なぜか登場している(後から聞くと大分県から旅してきたらしい)ドラムセットの轟音と、シュプレヒコールというにはあまりにも音楽的あるいは祝詞的とでも言いたいような「再稼働反対!」のコールが混ざりあい、殺風景なはずの原発ゲート前にまったく魔術的な空間があらわれていました。(夜を徹して続けられた座り込みのなかでは、写真のとおり「黄色いひと」も登場していました。。!)

 大飯の抗議行動の中継をみていらい、「東京」は終わったのかもしれないと感じています。大飯だけではなく、目につくかぎりで、岡山、和歌山、上関、美浜、祝島、滋賀、青森、四万十、伊方、高知などさまざまな土地で、かならずしも古くから反対運動を組織していたグループとは関係のないかたちで、さまざまな抗議行動が展開され、それらをとおして、ゆるやかな共同体が生まれつつあるようです。これまでの多くの大衆運動は、都市を、端的にいって首都である東京を拠点にするという面をもっていたといえるでしょうが、そのような図式ではとらえられない状況がはじまっていると思うのです。
 「東京」の終わり。終わりという言葉にはどうしても否定的なニュアンスがつきまといますが、なにも土地としての東京の豊かさが失われたわけではない。ぼくたちが生きているのは、括弧つきの、首都機能としての「東京」の終わりの始まりなのだと思うのです。うまく言えませんが、状況にうながされるようにして、都市的なもの、都市のあるべきすがたが、東京から旅に出はじめたといえるのではないでしょうか。大飯の魔術的な抗議行動はそんなことのひとつのしるしだと思えてなりません。






 わかってくれるかな。うまく言えない。出て行くしかない。ここが終点と思っていても、おかしなことに、いつもいつも、終わりが始まりだ。
——テオ・アンゲロプロス『ユリシーズの瞳』


 『ユリシーズの瞳』冒頭近く、アメリカから35年ぶりにアテネに帰郷した主人公のAは、戻ってきた理由、すぐにまた旅立つ理由をこんなふうに言っていました。
 2011年3月11日からいままで、それなりの数の別れを経験してきました。多くの友人が東京を、日本を去ったし、また去ろうとしています。濃淡はあれど、その度ごとに悲しかった。天災の故だけであればしなくてもいい別れだったと思えばなおさら、悲しさだけでなく憤りもひとととおりではなかった。
 けれど、アンゲロプロスのこんな言葉をふまえて、 そして今年度のぜみをふまえて、 いまでは、なにも悲しんだり憤ってばかりいることではないんだと思っています。「東京」は終わりつつある。これからも人の流出は加速するでしょうし、それにともなって、文化的なものの地勢図も様変わりしていくでしょう。しかしそれは、あらためて旅の時代がはじまった、ということなのだと思います。同じく『ユリシーズの瞳』のなかで言われていたとおり、「天地創造で神は、まず旅を作り、次いで、懐疑が生まれ、郷愁が生まれた」のであれば、ただふりだしに、あるべきことのはじめにもどったと考えるべきでしょう。
 
 「終わりが始まりだ」。アンゲロプロスだけではなく、なんとなれば、仏文科に席をおくぼくたちは、“Le monde va finir”とつぶやく詩人が、詩の世界にどれだけのものをもたらしたかを知っているし、古びたもの、終わりゆくものの「しるし」から新しい「神話」を紡ごうとしたシュルレアリストがいたことも知っている。希代の旅人ブリスさんやフランスから旅してきたペニコーさんにもお会いできたし、伊豆高原のコミュニティや盆栽職人の集団移住や、okjレポートでデルヴォーの旅も知った。「旅とシュルレアリスム」をめぐる後期のぜみでもさまざまな旅について知り、これからの旅に備え、そしてそれ自体が旅となることだと思います!

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ルカニコスの勇姿!よくみるとちゃんと首輪もしている。精悍で実直そうないい顔。
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アンゲロプロス『永遠と一日』のなかの「黄色いひと」たち
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大飯原発ゲート前に登場した「黄色いひと」!
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