巖谷國士×マックス・エルンスト★講演@宇都宮美術館

宇都宮美術館へいってきましたよ〜!

「マックス・エルンスト展 フィギュア×スケープ」

 

こんもりと紅葉した山々を抜け、宇都宮の森の美術館まで

巖谷先生のご講演を拝聴したくて、行ってきました〜!

 

マックス・エルンスト展ですもの! 巌谷先生のエルンストにかんするご講演ですもの!

森だもの、怪物だもの、かわいいんだもの〜!

 

美術館での展示はゆったりと

まるでエルンストと対話できるような落ちついた空間に、展開されていました。

宇都宮美術館でエルンスト展を見ることができて、本当に幸せ〜!

 

☟以下われらリポーターokjからのご報告です☟

宇都宮美術館は、美しい森の紅葉・黄葉のさなかにありました。

一本の木が全部ちがう色の葉で彩られていたり、ドングリの実が落ちていたり、

巖谷先生が、県名がトチの木(栃木)に由来する……とおっしゃったとおり、豊かな縄文世界までも感じられるような環境です。

 

そんな五官(五感を生じる感覚器官)すべてに気持ちのよいところで、もうたまらないようなエルンストの作品の数々を見ながら、 巌谷先生のご講演を聴き、20世紀の戦争の歴史を背負った宇都宮の餃子を名店で食べまくり……だったのですから、かなり贅沢な旅イヴェントとなりました。

 

はたして、今回の先生のご講演はまた、あらゆる領域へと無限に広がりながら、時空を包みこんで、 シュルレアリスムをとおして私たちが認識できる、時代の「いま」をとらえた、驚くべきものでした。

 

マックス・エルンストの作品とその生涯の背景にあるのは、生命体としての「森(=スケープ)」ではないか、というところから、 エルンストの生まれ育ったブリュール(巨大都市ケルン近郊の町)を紹介しつつ、 お話は、多神教的ケルト世界の森、ローマ神話の森にまでおよび、しだいにわれわれの眼の前に、あらゆるものが混交するケルンという土地の姿が浮かびあがってきました。

 

先生は1999年にブリュールを旅し、エルンストの生家を探して訪ねたときのお話をしてくださり……アウグストゥスブルクの宮殿と庭園、エルンストの生まれた家とその位置、エルンスト18歳のときに描いたパルク(公園/庭園)の風景画と火山の絵、天変する自然、「森の恐怖と魅惑」(巖谷先生が訳した数々のエルンストの自伝も参照!)……エルンストの背後に広がるスケープを解説してくださいました。

 

さらに、妖精、怪物(=フィギュア)についてのお話も本当に明快でした。

人間の形とちがうものを怪物と呼んだこともありましたが、彼らは聖なるものとつながるもの、神から与えられたものとして、称えられもしたそうです。

でも、人間とそうでないものと、二分できるのか? われわれは多かれ少なかれ「人間みたいなもの」ではないだろうか、と巖谷先生。 この発想には会場も沸き、かなりの解放感を感じました! 

自由になれる~!

 

人は、自然に存在する以上のものを想像することはできないから、怪物も自然物のコラージュの産物である……と。鳥人間ひとつとっても、エルンストの「ロプ ロプ」だけでなく、ケルト、エジプト、日本、プリニウスの場合、なども例に挙げながら、人類史的・博物誌的にお話を展開する巌谷先生。

まさに息を呑むような展開……

 

エルンストがけっして個人的な体験や主観のみに基づいていた作者ではなく、はるか古代の野生人の発想をもっていて、私たちが生活のなかでも気がつく(わかる)ような原始性・普遍性が、彼の作品とその製作の過程にあることが明らかになりました。

 

後半のパネルディスカッションでは、聞き手の学芸員さんたちの質問に答える形で、巖谷先生がシュルレアリスムの見わけ方、レヴィ=ストロースも礼賛したエルンストの手仕事性、その「楽しみ」、「遊び」についてお話くださって、これもとても盛りあがり、笑いました!

 

時間が限られていたのが残念でしたが、これは来年開催の「<遊ぶ>シュルレアリスム」展にかなり期待です!楽しみ~!

 

ご講演のなかの、映像を写しての作品解説がまたすごかったです。エルンストの作品とともに、解説でケルトからギリシア・ローマ、エジプト、パリ、ニューヨーク、アリゾナはセドナ、はてはランボーの世界までつづく旅!

 

《パリの春》1950年作 という、もうなんともいえない幸福な顔をした「人間みたいなもの」のいる作品があったのですが、今日参加したモン・アナログの面々はみーんなこんな顔になってしまったのでした。本当にありがとうございました!

okj