巖谷國士×桑原茂夫★対談講演「港区の歴史と文化2」@港区高輪支所

巖谷國士×桑原茂夫「港区の戦後1950年代を語る」

先週末につづき、記録的な大雪が東京をはじめ関東各地を襲いました。いまだ孤立している山梨や秩父などが心配です。

 

そんななかで、港区★講演の開催された高輪支所には、今日も地元からたくさんの観客が熱烈!来場されました。なんといっても、真夏で気温40度もあるオーストラリアから、摂氏0の東京へ、★先生の講演を聞くためだけに来日したブリスさんもいらしてるんですから! 今日の★先生の講演も期待しちゃう~、そんな観客たちのワクワクのおかげで、輪いガヤ塾はちょっとしたホットスポットでした。

 

それなのに、冒頭のお知らせで、この港区★講演を主催するkissポート財団が高輪支所を離れること、そのために、今回の講演が最終回になる〜ということが伝えられました。これまでの4年間、港区の歴史や自然や文化について、単独の講演だけでなく、さまざまなゲストとの対談講演をつづけてこられた★先生の企画が、とつぜん終わる……今日が最終講義、ならぬ最終講演だなんて……!

信じられません! 悲しすぎる!

 

びっくり、ア然……じつは★先生もさっきはじめて聞いたことだそうです。こんな突然の断絶って……地域のコミュニティを断とうする政治的意図が、まさか、ここまで働いているのか?と 勘ぐってしまうくらいです。

 

さて本題に入りましょう。

今日の講演は、★先生がゲストをお呼びする対談形式。前回は港区の歴史と文化が、この高輪支所のお隣、泉岳寺から語られました。泉岳寺といえば「忠臣蔵」。ちょうど討入の日で、忠臣蔵をテーマに、江戸、明治、大正、昭和と時代をくだり、地元に根づいた庶民の文化をあざやかにうかびあがらせました。

 

そして今回は、一気に現代に近づいて、昭和20年代、終戦後の港区をテーマに! ここに集った観客の多くが生きてきた時代です。対談のお相手は、港区三田を地元(故郷、くに)にもつ、★先生と同い年の著名な編集者・詩人・評論家である桑原茂夫さんです。その近著『御田八幡絵巻』(思潮社)を片手に対談は始まりました。

 

そのまえがきで桑原さんは、戦後をじつに印象的な言葉で表現しています。

「モノクロームの時代……濃淡の切れ目からあざやかな色彩がにじみでてくる」

 

1950年代の三田・田町周辺を手描きの地図でしめしながら、桑原さんは当時の町の有様を語ってくださいました。

闇市マーケット、アセチレンランプの灯、摩天楼と呼ばれた浅野御殿の廃墟、そこを舞台に活躍する黄金バットの紙芝居と弁士のおじさん、芝園映画館や銭湯の混雑、都電と車庫、下町と山の手……。

 

戦後の貧しい、でも「闇」ににじむ裸電球とアセチレンランプの美しかった時代に、小学生だったお二人が見て、歩いて、体験した町の光景は、なんともいえない感動的な色あいをもって迫ります。

まるでおとぎ話のようでもあり、日常がはなやいだ祭に変わる、そんな仕掛が町とそこに暮らす人々のあいだに溢れていて……うらやましいほどの「豊かさ」を感じます。

 

子供にとっては親ばかりでなく、地域の大人全部が優しい。そこには人と人との一対一のつきあいがあって、自発的なコミュニティが生まれていたのでしょう。

 

一方には品川駅から吐き出される引き揚げ者、傷痍軍人、進駐軍、ギヴミーチョコレート、その甘くて苦い味、歴史から消された部落、1950年にはじまる朝鮮戦争と日本の「独立」……歴史がイメージとして沸いてくるスリリングな展開……★先生がこれまでの講演で語っていらしたさまざまな人物たち(瀧口修造、土方巽、岡本太郎ら)もが、ちらほらと点滅をはじめました。

 

そのうちに、日本はやがて高度成長期を迎え、それまでに築かれたコミュニティを壊しながら、新しい科学技術文明と資本至上主義の波に身を投じてゆきました。芝の増上寺の境内を取り壊して、東京タワーが建ったとき、ひとつの時代は終わったと桑原さんはおっしゃいます。

 

戦後の日本は、なんだか震災後の私たちの時代にも重なります。

 

★先生のさりげなく引き出した桑原さんの回想と考察には、いまの私たちがここ(地元)で生きていくための指針ともなるような、とても大切なメッセージが含まれていたように思います。

 

それなのに、これが最終回となるのはとてもさみしい。どうかまたどこかで、この続きの講演を聴くことができますように!

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