巖谷國士★シンポジウム「おとぎ話とアート」@日比谷図書館

日比谷の森で行なわれた今夜のシンポジウム、鴻池さんが作品を秋田の山へ移動~旅させる展示プロジェクトについて話されたこと、村井さんがおとぎ話について話されたことを受け、★先生は狼の話をはじめました。


ここ日比谷公園には、1938年にイタリアから贈られた、ルーパ・ロマーナ(ローマの雌狼)またの名をルーパ・カピトリーナ(首都の狼)という、イタリア、ローマ帝国以前の文明、エトルリア時代につくられたブロンズ像のレプリカがあるのです。

贈られた当時は、戦時下の日伊ファシズムの結びつきを表す意味が生じていたかもしれません。

しかしいま私たちの世代に、★先生の視点から明らかにされるのは、この雌狼(ルーパ)が象徴するローマ建国神話が、森の先住民エトルリア人による表現であったこと!  そしてローマ帝国が豊かな森を失いガリアへ向かったこと、双子の兄弟ロムルスとレムス、その母レア・シルヴィア、双子を育てた雌狼の4つの乳房……

原初の森の記憶をわたしたち聴衆に呼びおこさせる★先生のものがたり。


17世紀のぺローと19世紀のグリムは、口承で伝わるおとぎ話をまとめた時代がまずちがい、同時にその対象となる聴衆もことなりますが、彼らの編んだ話に見られる狼の悪役的なイメージは、いったいいつ、なぜ生まれたのか?  そんなところから始まり、現代の私たちが抱く狼のイメージを次々に逆転させていきます。

ヨーロッパのキリスト教世界、牧畜社会では、狼は人間の囲いこんだ羊を襲う敵と見なされました。でも本来森で集団生活をいとなむ狼が、単独で人里までやってくるのは、人間が森で鹿や猪を狩ってしまい、狼の食べ物がなくなってしまうからです。

狼は森の主で「大きな神(オオカミ)」。大きく噛むということもあり、「おおくちのまかみ」という言葉が古代にすでにあったそうです。たとえば日本の農耕社会では、畑の作物を食べてしまう草食動物を食べる狼は、ありがたい存在であり信仰されてもいました。狼は自然の生態系を保っていたのです。

でも悲しいことにニホンオオカミは1905年に絶滅しています。わたしたちの身近には犬がいて、本質的には差がないのに、文明世界に囲われ退化させられた犬……犬にどこかしらつきまとう悲しさはそのせいかもしれないと★先生。

フランス語では「犬と狼の間」と表現される夕暮れ時、「逢魔が時」の話もされて、先日の唐組の芝居『紙芝居の絵の町で』が点滅してきます。

★先生は16世紀、17世紀の狼にまつわる古い絵を見せたあと、19世紀ギュスターヴ・ドレの版画「赤ずきん」をしめし、ドレが狼を悪役と解釈しなかったことを指摘します。

赤ずきんちゃんが狼に食べられるというのも、森と一体化することが予見されてたからではないか?ともおっしゃい、一般的にアンハッピーエンドとされる解釈、狼に食われることが悪であるという論理に疑問を呈します。

そして最近いろいろな国で、女性が描いた狼の絵に出会う……と、フランソワーズ・ペトロヴィッチの絵などを見せてくださいました。

森に入ることで体験する通過儀礼……おとぎ話の運命的な展開……森と文明、狼と犬、正気と狂気、夢と現実、光と闇、といった境界をなくす、その延長にあるシュルレアリスム……品物ではなくオプス(過程)としてのアート……糸や縄文土器を紡ぐ女性の創造…… など、類推の魔法で★先生のお話は旅をはじめ、自然と人間、芸術の核心へと迫ってゆきます。

フランスの「驚異の洞窟」内で、不思議な動物の絵のほかに、人が手形を押した痕跡を発見した★先生。それは自然のなかに痕跡をのこすことで自然に参加する類の行為……あるときから森をあとにして文明を築いてしまった人間は、こうして自然と交流せずには生きていけなかったのではないか?  それが芸術の出発点だったのではないか?  とおっしゃいます。

きっとまっ暗な洞窟のなかで火を焚いて、人びとが集まり、自然発生的におとぎ話は生まれてきたのでしょう……個ではなく類の存在として、人間の精神に必要なことがおとぎ話のなかには保存されています。

こうしたお話が展開されると、私たちの奥底に、太古の昔からずっと求めていたような感覚が生まれ、森から新たな生命を吹きこまれるような思いがしました。

集団で森にくらす、野生の狼の意識も芽ばえたかのよう! 


 前回の『類推の山』講演でも登場した映画『ふたりのヴェロニカ』のラストシーンで、ヴェロニカが木に手を触れることが思いおこされます。

あらゆる原初の感覚が刺激され、真実に触れる、類推が類推を呼び、船出するような……本当にすばらしい★連続講演でした!(okj)