巖谷國士★講演「自然・災害・ユートピア〜手塚治虫から岡崎和郎まで〜」@芦屋山村サロン

JR芦屋駅の目の前にある文化施設「山村サロン」で開催された今回の★先生の講演会は、堺ご出身のpandaさんが、お母さまとともに熱烈に企画してくださった貴重な講演でした!    
芦屋の会場にはご年配の方々も多く、やっぱり文化レベルの層が厚いのだと感じられます。

はじめに主催者のおひとり山村氏が、20年前の阪神淡路大震災のことに触れ、「ここ芦屋も震度7の被災をしたのだ」と…… 

たしかに駅の周辺や川沿いなどは、なにもかもが新しく、新建材の家々がまだ個性をもたずに静かに並んでいます。山がちの方へ行けば猪も出るほど欝蒼とした森を抱える屋敷もあるというのに、やはり天災というのは、起きてしまえば、町の歴史も記憶も、全部一緒くたに呑みこんでしまうものなのですね。 

★先生のお話も、そうした震災の記憶が残る芦屋のみなさんに向け、語られはじめました。

もちろん最近でも日本列島の各地では、地震、火山、台風、水害……とさまざまな天変地異が起こっていて、自然の再生活動は持続しています。けっして過去のものでなく、いま現在も私たちのすぐそばで、自然は躍動している!

私たち日本人は、そうした自然のくりかえす再生活動とともに、この列島のなかで経験を積み、人間の側がうまく自然に寄り添うかたちで生きてきたというのに……あるときから科学で自然を想定し、科学技術で自然をコントロールできると考えるようになってしまった(日本にも移植され、やがて原発事故へ)。

自然災害の少ない大陸に住む人々ならばそうした考えもありえるだろうが、これだけ日本列島のなかで自然に左右されて生活してきた私たちが、どうしてその記憶を忘れることができようか?と★先生。 

もとに戻すための復興よりも、被災した人々の間にうまれたコミュニティーにこそ、「ここは危険であそこは安全」といった土地の記憶が保持されるものなのに!

為政者たちはまやかしの言葉をあやつって、コミュニティーを破壊し管理して、かつての町に凡庸でどこにでもあるような「ユートピア」まがいのものばかりをぞくぞくと建設してゆく…… 

私たち日本人こそは自然と共存し、無秩序な自然の織りなす楽園に、自分たちの原初の記憶を取り戻すのが本来のあるべき姿だろうと★先生。

けれども多くの人間は愚かなもので、自然と対立する壁やら境界(盛り土でできた宅地造成など)などをつくって、それがさも「われらが理想とする国家、美しい国⚪︎⚪︎」であると…… 

いやいや私たち個人には、国家が必要なんじゃない、自分たちが生活するこの土地の、あるべき姿だけを望んでいるの…… 

鴨長明は「方丈記」に京の都に起きた火災、竜巻、飢饉、大地震を書き残し、自然に従順であれと日本の自然の無常観を記しています。

また芦屋に近い宝塚出身の手塚治虫(21歳のとき)の初期作品にも、同様の、現代の私たちへの警告ともとれる漫画「メトロポリス」があり、科学技術(テクノロジー/ここでは原子力、バイオテクノロジー、コンピュートピアのこと)はやがて人間を滅ぼすだろうと。 

★先生は、このようにさまざまな芦屋の(関西の)人々にもなじみ深い人物や歴史を挙げながら、するどい真実の言葉で境界を押しひろげ、突き破ってゆきます。 

最後に、芦屋の画廊(芦屋シューレ)で開催中の岡崎和郎(岡山県出身)のオブジェ作品にも触れ、岡崎さんが作品のなかに見るという「記憶・休息・再生」についても教えてくださいました。 

★先生の講演を聞いたあとだとなおさら、「記憶・休息・再生」という、岡崎さんの手仕事をする(自分の痕跡をのこす)うえでの想念が、じつは自然に寄り添って生きる、日本列島の自然に左右されながら生きる、私たち日本人にとって「自然に参加して生きていく」ための普遍的な感覚であるかのように思えてきます。 

今回の★講演は、日本列島を自然として考えようとするものでした。 講演を聞いた私たちのなかにも、共感するコミュニティーが生まれはじめます。 ★先生、ほんとうに素晴らしいお話を、ありがとうございました!  

そしてpandaさん(お力添えくださったご両親にも!)に、素晴らしい企画をありがとう!と心より感謝申しあげます。 
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