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巖谷國士★講義 第5回「新★ぜみ」の報告

 

前回の第4回講義では、この6月末からはじまる台湾国立美術館での「共時的星叢」展(映画「日曜日の散歩者」が展覧会に具現化される)をひかえて、台湾でのフィールドワークからご帰国されたばかりの★先生(雑誌「現代詩手帖」5月号に掲載の「シュルレアリストの台南散歩」にくわしい)に、「台南とは何か」についてご講義いただきました。

 

その講義の際には、日本語で「散歩する人」とひとつの訳語があてられるところ、フランス語は、promeneur プロムヌール、flâneur フラヌール、passant パッサン、marcheur マルシュール……とそれぞれの行為や意図や目的にちがいのあることが指摘されました。

 

そのおかげで、★先生(= シュルレアリスト)の目が、発見し切りとった「台南」の町は、不思議な魅力……見たこともない、行ったこともない……を湛えて、私たちの目に映りました。

 

さぁ、待望の第5回は、その★目が「パリ」を散歩するとしたならば……「新★ぜみ」第5回は、シュルレアリスム式にパリを〈歩く〉とは? パリとは何か……いったいどんな旅に私たちを誘いだしてくださるのでしょう!

 

……と、その前に。

先日の諸橋近代美術館での★先生の講義「シュルレアリスムとダリ」の実況レポートが、花巻からご出張くださったvioletさんの筆で詳細にゲスト★Bookの方に再現(?)されていますので、是非そちらもご参照くださいますように! あまりに濃密で、熱気あふれる講義(実際暑かったそうです)がそのままにリポートされており、ダリに、シュルレアリスムに、ズバズバと斬り込んでいく★先生の、聴衆への気持いいまでの忖度のなさが愉快痛快で、「詰める時間なし…」といって筆を置くvioletさんの「本懐を遂げた感」にも、思わず共感した次第です。みなさんも一息に読んでみてください!

 

さて話を戻しまして、

今日は「新★ぜみ」第5回が開催され、★先生には、「パリとは何か ★〈歩く〉シュルレアリスム」と題して、訳書『ナジャ』をたずさえながら、お話をしていただきました。

 

「パリ」という場所には……長い歴史に裏うちされた、民衆と反乱と革命と不思議と驚異との感覚が染みついており……ブルトンがナジャと出会ったときも、いま私たちがパリを歩くときですらも….…日常の地つづきに「シュルレアリスム」が存在しているので、何時間でも何日でも、ぶらぶらとフラネ(flâner)しようものなら、永遠に、なにかを見つけることができるし、なにかに出くわすことになるだろう……と。

「シトワイヤン Citoyen(Monsieur Madame に代わる呼称、市民・同志の意味!)〇〇」となって、ここで過ごしてかまわない……と、パリがそうした場所を用意して、私たちを受け入れてくれる……なんてステキな感覚だろう! その光栄や恩恵に浴してみたい!

 

★先生の指さす、目配せする「ものの見方・とらえ方」を知り、私もそんな風にパリに身をゆだねてみたい!

……そう思ったぜみ生も、きっといらしたことでしょう。ここで「新★ぜみ」の報告に代えて、okjさんに講義の「概略」と、あわせて参加者からの「感想」を一部、匿名にてご紹介させていただきます。

 

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【概略】

 

今日は「パリとは何か★〈歩く〉シュルレアリスム」をお話いただきました! 前回の「台南とは何か」からつづく「散歩者」という存在について、★先生が語りはじめます。

 

18世紀、ジャン・ジャック・ルソーが、ロマンティスムのはしりである近代的個人がプロムネ(散歩する promener)するようになったと『孤独な散歩者の夢想』に書いたのに対し、19世紀半ば、ボードレールが、近代都市に集まる群衆とその無数の未知の人々の中をもまれて歩くことを『パリの憂鬱』に書き、パリという町にのみ存在しうるフラヌール(ぶらぶら歩きする人 flâneur/flâner →パリにしかない言葉)が示されました。この時代に見られる都会生活の変化、匿名の都会人、群衆の誕生……次いで、ベンヤミンがつまびらかにするパサージュ passageと、アポリネールがプラハという町を「通過者 passant」という視点で語ることや、ポルティコのある町についても。

 

この群衆がつねにパリの地にあって、支配者によらぬ変革を担ってきたこと、歴史の始祖の代からずっと人々のなかに抵抗の精神が受け継がれてきたことなど、このあと、紀元前4、5世紀末にまで遡って、パリの歴史をひもといてゆくスリリングな展開です。

 

ケルト人のパリシー(Parisii)族、そこへ攻めこむローマ人(『ガリア戦記』)、カエサル軍への反抗。シテ島がルテティア(Lutetia)という名の町になり、そしてパリとなる変遷。その紋章と「たゆたえど沈まず Fluctuat nec mergitur」の銘句。ユゴーのノートルダム・ド・パリ。アポリネールやアジェのflâneur。パリのキリスト教化にともなう聖人伝説、守護聖女の抵抗。皇帝や王朝の変遷、内乱や宗教戦争、首都でないときも変わらず群衆たちが住み続けるパリ。たびたびの民衆の蜂起。……これらは町そのものに記憶されており、人格を帯び、人々もそれを無意識のうちに、ごく自然に感じとり、フラネflânerしている……と★先生。『ナジャ』の中にもパリの町そのものが生きていて、歴史的な厚みが随所に点滅している〜とおっしゃいます。

 

はじめから終わりまで、パリを歩き、次々におこる不思議なできごとの客観的な日記……何か自分にとって意味をもつようなものが芽ばえはじめるような予感の連続……時間的・空間的に、説明のできない、答えのでない、だから痙攣的である……そんなパリの姿を、★先生がブルトンと共謀して私たちの目の前に並べてくださったかのようです。

 

パリの地図を見ながら、ブルトンの歩いた道やナジャと出会った場所もたどってくださいましたが、まさに驚きの火花の炸裂……! 『ナジャ』の写真の読みときや、★先生が岩波文庫版に付した注釈が、また驚異の発見の連続で、「flâner」は加速するばかり……! ★先生と『ナジャ』をたずさえflânerする旅は、さらに続けられねばなりませんね! あまりに刺激的、痙攣的なおもしろさです!

 

こんなふうに今日、私たちをパリに連れだしてくださって、★先生本当にありがとうございます!

 

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さてここからは、参加者よりお寄せいただきました「感想」を一部ご紹介します。

 

【感想】

 

◎本日も素晴らしく、楽しかったです! フランスについての上っつらではないお話。「革命」というとフランスというイメージが漠然とあったのですが、本来の意味で(まだまだではありますが)理解の「核」をいただいた気がします。ノートルダムのお話も、興味深かったです。

Saint-Denisがフランスの聖人というのも(首を持って歩くなんて!)おもしろい! 「パリには常に市民がいる」銘言もいただきました。そして『ナジャ』を読むための、ありがたいお話が終わったところで、時間が…。ああ、本当に★先生のご講義は時間があっという間です。「『ナジャ』はパリのみが可能にする文学」とのこと。なるほど。

 

◎「説明できない街」について、一番よくえがかれているのが『ナジャ』。面白かった!

「『ナジャ』とは何か?」という題で、次回、お願いします。

 

◎Flânerは時間も「現実」も踏みこえて歩くこと!とても濃厚で楽しい時間でした!

 

◎大学の部屋にいながら、パリを歩いていました。講義「ナジャとは何か」切望します!

 

◎「ナジャ」また読み直したくなりました。パリにも行きたくなった。Les Arènes de lutèce は子供が小さい頃、よく遊びに行きました。

 

◎2011年の最終講義から数年ぶりに参加しました。昨年パリに行ったとき、もう何度も行っている街なのに何か不思議な出会いが続き、これは何だろうとずっと考えていました。今日、パリの街やナジャをあらためて触れ、すこし分かってきたものがありました。今日は何かに誘われるようにふと思いたって参加しましたが、また次も伺いたいと思います。

 

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今回の聴講生には、2011年の最終講義以来のぜみ生もいらしていたようですね!

このMont Analogue HPも、2011年に立ち上げられ、以来、サイト内に、★先生と編纂した「講演録」「著作目録」を掲載してきましたが、このたび、2019年6月までの情報(講演と著作目録の記録)がアップデートされましたので、最後にご報告させていただきます。じつに壮大な仕事量です!