このページは★ぜみに属するみなさんの活躍をお知らせするページです

2015年

鈴木真 「LANDSCHAFT/風景」展2015年4月8日(水)~4月14日(火)松屋銀座7階 遊びのギャラリー

4月14日から松屋で展覧会をします。ぜひご覧ください。

大月雄二郎さんの展覧会告知!

 

このページでは★ぜみ生が関心を寄せるであろう作家や事柄についても掲載していきます!

 

そこで

大月雄二郎さんの展覧会についてもここでご案内します

@恵比寿LIBRAIRIE 6


12月5日(土)〜12月23日(日)

大月雄二郎「Moi et Mon Cœur/わたしと私の心」展


12月8日(土)には一時帰国する大月さんと★先生とで

 2人★トークショー「オブジェ考」を予定!

 

(以下は☟★先生のメッセージ#296より)

◆大月雄二郎は★の朋友アーティストですが、長くパリに住んで活動をつづけ、去年、フランス国家から「シュヴァリエ」章を贈られました。当 の受賞について は、このゲストブックにも祝福のコメントと返礼が書きこまれましたね。院ゼミにゲスト出演したこともあるし、卒ぜみにも知る人が多い。いまもパリで個展を やっていますが、今回のリブレリーシスでの個展は受賞記念だそうで、いや、それでなくても楽しみです。


(以下は☟画廊HPの作家Profileより)

☆大月雄二郎は1948年神戸生まれ。
69年に状況劇場に入団、71年に退く。そのころから銅版画に興味を抱き、山本六三によってその手ほどきをうける。
72年からはパリに移住し、78年、同地で池田満寿夫に出会い、ドライポイント技法を習う。
81年、作家・映像作家ロラン・トポールと親交がはじまり、多大な影響を受ける。同年の番町画廊での銅版画展以来、
東京、パリをはじめブラッセル、モンテカルロ、イスタンブールなどで数多くの個展、グループ展、国際美術サロンに出品。
稲垣足穂の作品と思想に魅かれ、数多くの版画・リトグラフ・油彩・デッサン・オブジェを制作。
2001年に「時間の色」、03年に「キネマの月」を東急文化村ギャラリーでの個展で発表。
04年、カンヌ国際映画祭監督週間のポスターを手掛ける。
07年、オブジェ作品の延長としての写真作品のシリーズ「世界の意味」をギャラリー椿にて発表。
同年、国際フォーラムギャラリーにて小林モー子との合作「ペルル」発表。
08年、Galerie VALLOISにてオブジェ展「地上のかけら」を開催。同ギャラリーにて2012年、写真展開催。

新作オブジェ、版画等25点程の展示です。

ビニヰルテアタア第二回公演 千絵ノムラ一人芝居 『カルメル修道会に入ろうとしたある少女の夢』ご案内
★先生の翻訳されたマックス・エルンストのコラージュ・ロマン『カルメル修道会に入ろうとした少女の夢』が舞台化されます! 
すでに何度か★ぜみにもいらっしゃってるこの舞台の演出家、岡田さんからのご案内がありましたので、以下にご紹介いたします。エルンストが舞台になるとは! いったいどんなものになるのか、たのしみです!
Mont Analogueの皆様、お世話になっております。
演出家の岡田多恵子と申します。
今度、巖谷國士先生の訳されたエルンストの『カルメル修道会に入ろうとした少女の夢』を舞台化します。

上演時間は1時間くらいなので、お気軽にどうぞ。
劇場5Fの、素敵なバルコニーがあるギャラリーで個展もやります。
地下のブックカフェも素敵です☆

ビニヰルテアタア第二回公演 千絵ノムラ一人芝居
『カルメル修道会に入ろうとしたある少女の夢』

11月16日(金)−18日(日)
KID AILACK ART HALL
京王・京王井の頭線 明大前駅徒歩2分

16日(金) 20:00
17日(土) 13:00 / 16:30 / 20:00
18日(日) 13:00 / 16:30

前売2500円/ 当日2800円

原作者はシュルレアリスムの画家として有名なマックス・エルンスト。
全ページにコラージュの挿絵が入ったシニカルなお話を、ポップに舞台化。
千絵ノムラ自身の夢の物語とエルンストの世界が不思議に行きかいます。

エロティックでユーモア溢れる言葉の数々。
妖艶かつ幾何学的な身体表現。
圧倒的な迫力の舞台美術。
これらが二次元と三次元の世界で交錯します。

脚本・総合演出・主演は、舞台役者でライターの千絵ノムラ。
演出は、元哲学研究者の岡田多恵子。
そして美術は、国内外で活躍するアーティストのRáykaさん。

演劇・文学・絵画が好きな方は勿論、色々な方に観て頂きたい作品です。
心よりお待ちしております!!
『じいじの森』(清流出版/¥1,575) 原案:柳生博  作:中島宏枝  絵:長野美穂
『じいじの森』(清流出版/¥1,575) 原案:柳生博 作:中島宏枝 絵:長野美穂

 

『じいじの森』(清流出版)原案:柳生博 作:中島宏枝 絵:長野美穂

 

 

はじめまして。このたび★先生および★ぜみ有志の皆さんのご厚意で、新刊『じいじの森』のご案内をさせていただきます。

私は編集の仕事をしております95Fの中島宏枝です。


雑誌の取材で4年程前から、八ヶ岳に住む俳優で「日本野鳥の会」会長の柳生博さんを取材しています。

 

柳生さんは36年前から、山梨県北杜市の八ヶ岳南麓に土地をもち、自ら雑木林をつくり、今は「八ヶ岳倶楽部」という名で一般の方々にも無料開放しています。敷地内にはレストラン、ギャラリー、園芸ショップなどがあり、森林や園芸の好きな方ならば半日でも一日でも心地よく過ごせるスペースです。

 

 

取材を行う過程で、“柳生さんの森”を舞台にした童話ができるのではないかと思い、ある男の子が自分の祖父の住む八ヶ岳の森へ、ひとりで旅に出るお話を考えました。実際に柳生家には、男の子は13歳になるとひとり旅に出なくてはいけない、という家訓があります。柳生さんは、柳生新陰流で知られるあの柳生家の血をひいています。そして山に住む天狗とも何やらつながりがあるそうです。そんな題材も盛り込みながら、この物語では9才の「けいた」が様々な登場人物に出会い、意想外のことを経験して成長するビルディングス・ストーリーに仕上げました。

 

私自身初めての創作絵本ですが、この物語を創るうえでは、★ぜみのメルヘンやフェアリーの授業で学んだあらゆることが下地になっています。日頃から童話や絵本に親しんでいらっしゃる★ぜみの皆さんなので、厳しい目をお持ちかと思いますが、絵の方でも(★先生が“レトロな昭和オプティミスム”と嬉しい表現をしてくださいました)、物語の方でも、どこか気に入ったところがあれば、手にとっていただけると幸いです(7月25日発売予定)。

 

――おびえながら他者と出会い、ふるえながら閉じられた扉をこじ開けていくことは、少年ならずとも、この世界に生きる私たちが日々行っていることなのではないでしょうか。しかし自分はいつでも解答者の側にいて、ひとつひとつをクリアにしていくチャレンジャーなのだという悦びもあるような気がします。

 

☆今月末(7月28日、29日)に、「八ヶ岳倶楽部」にて本書の刊行を記念したサイン会が行われます。28日は中島も会場におります。標高1350メートルの場所にあり、とても気持がいいですよ。もしご興味あり、ご都合のよい方は、こちらのイベントにもぜひいらしてください。

詳しくは下記の「八ヶ岳倶楽部ホームページ」をご覧くださいますよう。

 

電車でいらっしゃる場合は、新宿から「特急あずさ」で小淵沢駅(所要時間90分)、小淵沢駅で小海線に乗り換え、2つ目の甲斐大泉駅下車(所要時間20分)、甲斐大泉駅からはタクシーで10分、徒歩だと40分程度です。

 

いろいろなご感想をお寄せいただけるとありがたいです。どうぞよろしくお願いいたします。 

95F 中島宏枝 (2012年7月23日)

寺村摩耶子著『絵本を食べる』(青土社)
寺村摩耶子著『絵本を食べる』(青土社)

寺村摩耶子著『絵本をたべる』(青土社)

 

83Fの寺村です。

★先生のご厚意により、新著の告知をさせていただきます(10.6.2012)。

 


 このたび『絵本をたべる』という本が青土社より刊行されました。

映画をたべる、小説をたべる、というのはあまり言わないかもしれないけれど「絵本をたべる」なら、不思議にすっとお腹に入っていく気がします。おさない子どものなかには、じっさい、絵本を口に入れようとする食欲旺盛な方も多く、彼らを受けて立つ丈夫なボードブック(たとえば福音館書店の「0.1.2.えほん」など)も存在しますが、ここでいう「たべる」にはもうすこし深い意味がこめられています。

 

「子どもは、好きな絵本を食べて、それが何らかの栄養になってるんだろうね」。

 

日本を代表する絵本作家で画家のひとりであるスズキコージさんは、子どもと絵本の関係について、そんなふうにおっしゃっていますが、まさに「たべる」ことは「見る」「聞く」といった行為にもまして、根源的な行為でしょう。
絵本は「頭で読む」ものではなく、目や耳、嗅覚や味覚、手のひらや指など、全身を使って味わうものです。ゆたかな五感としなやかな身体をもつ子どもへの敬意をこめつつ、絵本のよろこびをもう一度、私たち自身が味わってみたい。そんな願いをこめました。

 

一冊のまっしろな本というテーブルの上に、色とりどり、さまざまな絵本がならんでいます。よく知られたものもあれば、そうでないもの、古いアメリカの絵本もあれば、生まれたてほやほやの日本の絵本もあります。マニアでもコレクターでもなく、ただの絵本好きシェフとしましては、できるかぎりふつうの読者の方にむけて――あるいは絵本をほとんど見たことがないという人でも楽しんでいただけるような、自由なテーブルづくりをめざしました。何がどうならんでいるか、ということよりも、目の前にあるものをとおして、絵本の根源的なよろこびを味わっていただければ、それ以上に嬉しいことはありません。
「たべたものは自分の一部になり、心をも形づくると同時に、自分もまた世界の一部になる」。そんなこと、★ゼミの皆様にはあらためていうまでもないことですね。

 

さて、ここから先は、もうすこし本のことを(フルコースの流れを)知りたいという方だけ、ご覧ください。


夜。感覚。森。動物たち。変身。祝祭。ねむる。
『絵本をたべる』は七つの章でできています。

 
その成り立ちには、私たちがむきあうことになった「現実」が大きく関わっています。
(とりわけ「森」と「動物たち」、「祝祭」の章)。けれども、ひとつひとつの絵本にあふれている生のよろこびは、そのまま伝えたかった。なぜならそれらの作品は、現実という、うつろいやすいものを飛び越えた「もうひとつの現実」の輝きをもっているように思われるからです。
作り手たちのなかには、二〇世紀前半の二つの大きな戦争をはじめ、さまざまな現実に翻弄されながらも、すばらしい絵本を残した画家や詩人たちがたくさんいます。そしてまた、戦後の何もないところから出発し、現代を代表することになった日本の絵本作家たちも……。歴史のなかでしか生きられない存在であると同時に、歴史をもとびこえたアーティストたち。彼らのいとなみが、これからの私たちにとって、何らかの励みになれば、とも思います。

 

今は未来への希望といったものがうたわれることが多いですが、見えないものについて考えるよりも、たしかな過去を知ることのほうが、遠まわりかもしれないけど、ずっと未来につながるように思えます。そうした「歴史」へのまなざしというのか、何かを知ることでべつの何かが見えてくるという考え方は、ほかならぬ★先生から教わったものでした。

オブジェへのまなざし。批評とは「愛」であるということ(絵本に批評など必要とされていないといわれることもありますが、そんなときはこの言葉を思いだすようにします)。
★先生から教わったことはかぎりなく、それらは前回の『絵本の子どもたち』のような形で引用こそしていませんが、おそらく本書の随所にくみとっていただけることでしょう。

 

月と太陽がひとつになった表紙は、光と闇をあらわすものとして、また月食と「クレーム・ブリュレ」をかけたものとして、装幀家のミルキィ・イソベさんが作ってくださいました。


――さあ、あとはひたすら、絵本にむかうだけです。前菜からメインディッシュ、デザート
にいたるまで、どうか、お腹いっぱい、愉しんでいただけますように。 Bon appétit !

鈴木真 「LANDSCHAFT/風景」展
2012年3月28日(水)~4月3日(火)
松屋銀座7階 遊びのギャラリー

 

3月28日から松屋での個展の作品です。

出来たてのを写真に撮りました。

先生に書いていただいた文章を追加します。

鈴木真

30*60cm
30*60cm
30*80cm
30*80cm
30*60cm
30*60cm

〜2011年

チラシ「里山の学校」(design:梅村昇史 illustration:渡辺千春)
チラシ「里山の学校」(design:梅村昇史 illustration:渡辺千春)

はじめまして

このたび、★ぜみ有志のみなさんのご厚意でご案内を送らせていただきます

私は桜映画社に勤務しております74Fの岡ひとみです。

 

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9/10(土)青山国連大学1F地球環境パートナーシッププラザ(GEOC)で
3か月間開催されている「ORGANIC WEEKEND CINEMA」にて、
『里山の学校』が上映されました。


 ヨーロッパの「森の保育」は有名ですが、日本の「里山保育」を皆さま、ご存知ですか?


 日本には、古くから人里と山との中間に存在する人の手が入った「里山」が、至る所にありました。里山は、動物と人間の領域をうまく共存共栄させてくれていた貴重な空間でもありました。今は、熊が人里に侵入し暴れて射殺されるというようなことも増えてきましたが、それは人が里山を手入れしなくなったからだとも言われております。日本の「里山」の起源は縄文時代まで遡れると言われ、人里に近い順に山に向かって、「サトヤマ」「ウチヤマ」「オクヤマ」「ダケ」と呼ばれ、「サトヤマ」は、薪をとったり、キノコを採ったり、人間にとって生活に密接した環境でした。今、その「里山」は減り、荒れてしまった所が多いと聞きます。東日本大震災をきっかけに、原発の事故による放射線汚染も踏まえて、映画『里山の学校』から、生きていくうえで必要な沢山の大切なことを教えてくれる、まさに子どもが育つ環境として最適なこの「里山」という自然環境の価値を、あらためて見直してみたいと思います。

 

『遊び場のない子どもたち』と『里山の学校』の対比

 昭和30年代に始まる高度経済成長の結果、敗戦国日本は経済大国の仲間入りをし、国民の生活は物質的には豊かに、便利になったが、その陰で失ったものが数々あったことに私たちは最近気付かされました。それは、第一次産業の衰退、食の問題、失われた家族の絆であり地域の絆、継承されなくなった伝統行事やこどもの遊び、破壊された自然環境……。大都市には人口が過度に密集し、深刻な住宅難、交通事故の頻発……。また、当時の急速なエネルギー需要を名目に、国の政策のひとつとして、推進されたものの一つが、あの原子力発電所建設事業でした。世界で名だたる地震国であり、広島・長崎原爆被災国の日本が、世界第3位の原発保有国になっていたのです。

 その原発が急速に建設されていくことになる昭和39年に製作された映画『遊び場のない子どもたち』では、こどもの本来の遊び場であった広場や道路が大人の経済優先のために奪われていく中、抑えきれないこどものエネルギーを爆発させながら、高い塀をよじ登ったり、駆けずり回ったり……まだ貧しかった南千住の町中で、大きい子から小さい子までが仲良く一緒に遊びまわっていた時代を先ずご高覧いただきます。

 

次に……3月11日以前も、こどもが外で群がって遊ぶ姿があまり見られなくなっていたのに、ますます放射線被害の影響で、被災地のみならず、全国的に子どもを外で遊ばせられなくなりつつある今。一日中ゲームに没頭し、体力や想像力・創造力を失った子どもたちが大半を占める現在、千葉県木更津の里山の中で一日中、異年齢集団で、思いっきり遊び回っている子どもたちの集団があります。何をしても良い、何もしなくても良い、駆けずり回り、木登りをし、池づくり・秘密基地づくり・畑仕事に没頭し、生き物を捕まえ、舐めたり、観察したり、いとおしんだり、ある時は虫殺しや取っ組み合いの喧嘩も……そんな学童保育の「土曜学校」の日々の出来事を子どもの視点で描いた映画『里山の学校』をご高覧いただきます。 

 

 どちらにも共通して存在するこどもの目の輝き、満面の笑顔、底知れぬパワーにハッとされることと思います。豊かな感性と生きる力を育てていくためにも、貴重な自然環境を保全していくためにも……歴史の流れを振り返りながら、多岐にわたって私たち大人に何ができるのか、考えてみるきっかけにしていただければ幸いです。皆様のご来場を心よりお待ちしております。 

 

2011.6月吉日 桜映画社 岡村ひとみ