旧・巖谷國士ゼミナール案内

以下は★教授在任中の1990年代に、明治学院大学フランス文学科によって作成されました。ここにいう〈ゼミナール〉はもはや存在しませんが、貴重なコメントや★写真が含まれていて、いまもアクセス希望者が多いため、ここにアップすることにいたしました。

 

 

巖谷國士ゼミナール★案内

目 次★‥‥‥‥‥‥‥‥‥

 

☆ゼミナールの基本内容

 

☆自己紹介

   教授として

   研究著述家として

 

卒業生の回想

   ゼミに参加して 長谷川晶子

   ゼミとその後  戸塚貴子

 

主要著作目録

 

主要講演会・展覧会記録

 

 

☆2003-2004ゼミナール報告

   ゼミ・留学・ゼミ    細谷彩子

   魔法使いの教えをうけて 紙透 崇

   L'art magiqueの一年間  佐藤美紀

 

☆2005-2006ゼミナール報告

   魔術的な味      澤内智子

   言葉の不思議な力   内田あゆみ

 

☆2008-2009ゼミナール報告

   ゼミの1年間・日々の旅  柳田雅世

   4年ゼミと卒業論文のこと NB

   リモージュ留学とゼミ   上村遥子

   ゼミから「ぜみ」へ    藤川すみれ

 


☆ゼミナールの基本内容

プラハ、カレル橋@Kunio Iwaya
プラハ、カレル橋@Kunio Iwaya

 当方のゼミナールのやりかたは、いわゆる教授対学生の関係ではない、当り前の人間関係ということを基本にしている。少なくとも、おたがいに相手を、まともに人格をそなえた個人として見るようにする。たとえば食事会とか合宿とかいうときにも、よくあるように、グループとしてそこにいることだけを拠りどころにしたり、いわゆる親睦をはかったりすることはしない。戸塚や白金でたまたま出あい、知りあい、さらにつきあいをつづけたいと感じはじめた個人同士が、自発的にどこかへ出かけてゆく、その結果が夜の会合になったり旅行になったりする──というふうであったらいい。  

 

 3年次ゼミでは、テクストとして近・現代の詩的作品をとりあげることが多い。専門とするアンドレ・ブルトンやシュルレアリスムの先駆者の系譜を追っているわけで、ボードレール、ロートレアモン、そしてとくにここ数年は、アルチュール・ランボーの詩をつづけて読んでいる。一時間に一篇、担当者に発表してもらう。まだフランス語の力が充分ではない段階だろうから、語学的な解釈をまず徹底的にやる。そのうえで作品全体を見わたし、想像力をはたらかせながら読みをひろげる。感動が生まれる。そうすると外の世界が見えてくる。現代につながるさまざまな新しい感覚の萌芽をとらえ、共有し、世界、人間、歴史、文化を各個人のなかで再構成してゆく。そして、旅をする。

 

 4年次ゼミのほうは、いっそう開放的で自由な方式をとっている。こちらではテクストをあらかじめ決めることをせず、シュルレアリスムとその周辺の作品を軸に、文化、芸術、文学の広い領域にわたるいくつかのテーマを参加者が見つけだし、自分で発表してゆくようにする。たとえば「夢」なら「夢」、「妖精」なら「妖精」、「廃墟」なら「廃墟」といったものについて、それぞれ歴史的・社会的・心理的・美的・文学的・体験的にアプローチを試み、たがいに意見を出しあったりする。マン・レイやガウディやニジンスキーや小泉八雲といった芸術家・文学者を個別にとりあげて研究してもいい。ジャンルは何であってもいい。そんなふうに進めてゆくと、やはり外の世界が見えてくる。参加者ひとりひとりはそれを自分の眼で、広く遠く見わたしてゆき、たとえば卒業論文のテーマや卒業後の活動の場にめぐりあうということもある。  

 

 ここ数年についていえば、アンドレ・ブルトンの大著『魔術的芸術』をとっかかりにしている。これは芸術そのものの起源にあった魔術(人類学や民族学の専門用語では「呪術」という)なるものに注目しつつ、従来のアカデミックな(あるいは常識的な)芸術史を書きかえようとした壮大な試みであり、近代の合理主義的思考にしばられない新しい世界観・人間観を示そうとした大胆な企てである。その概略をうけとめ、先入観を捨てたうえで、参加者は一連の芸術・文学作品を見、感じとりし、必要に応じて読み解いてゆく。その過程で現代の世界と人間のさまざまな問題に立ちむかうことができるようになれば、ゼミはいちおう意味があったことになる。  

 

 とくに「見ること」を前提とするゼミなので、時間がおわってからも、いろいろな映画をヴィデオで観る。美術館や画廊へ展覧会を見に行ったり、講演を聴きに行ったりする。そして希望者が多いようなら、年度末に海外旅行を試みることもある。作品を見ることと町々を歩くことが連続してくると、また新しい充実した体験が可能になる。といっても、これは希望者だけがすることなので、その気がなければ加わらなくてもかまわないし、計画自体を立てなくてもかまわない。  

 

 ゼミの参加者の傾向は年度によってすこしずつちがう。ただ、シュルレアリスム周辺の現代文学や美術、映画、写真、ダンス、建築、庭園、旅、ファッション、料理など、文化一般に興味をもつ人々が集まりがちである。そのなかにはいわゆる変り者もいるかもしれない。だがここは、個性が発揮されれば発揮されるほどおもしろくなってくる場でもあるから、ひとりひとりが好きなようにやればいい。こちらはどんな参加者も大人として認め、それぞれの関心を重んじるようにするので、卒業してからもつきあいつづけるといったケースが多い。

☆自己紹介

教授として自己紹介

 1943年、東京に生まれる。O型。幼いころから「見ること」が好きだったらしい。書物だけでなく美術、映画、庭園、漫画などを好んでいたが、町を歩くこと、旅をすることにも心ひかれていた。小学生時代には、将来、画家か考古学者か園芸家か天文学者になることを夢みていた。

 

 中学時代には映画館通いをし、高校時代には町をさまよった。そのころには建築家か映画作家か旅行家になろうと思っていたが、結局、東京大学の文科2類に入学し、文学部フランス文学科に進んだ。20歳のころに詩人・美術批評家の瀧口修造、作家・仏文学者の澁澤龍彦という二人の先人と出あい、かつ親しくつきあったことが、その後の行動に多少とも影響をおよぼした。それで大学時代には小説やエッセーを試作していた。

 

 卒業論文は「アンドレ・ブルトン序説」。これがきっかけになって、アンドレ・ブルトンとシュルレアリスムをめぐる文章を発表しはじめた。大学院に進んだが、いわゆる大学闘争の時代に入るころで、講義はほとんどなかったように記憶する。その間にも町をさまよい、文学者、芸術家、映画・演劇・舞踏関係者たちとのさまざまな出あいを体験した。研究らしきものと翻訳の仕事をつづけながら、アルバイトでなんとか自活していた。  

 

 修士論文は「シャルル・フーリエ序説」。博士課程のあいだに何冊か翻訳書を出し、論文や批評やエッセーのたぐいも発表できる態勢ができてきたので、そのまま「筆一本」の生活をはじめるつもりでいた。ところが、以前からの父親の病気がいよいよ悪化し、家族の生活を支える必要が生じてきたため、一念発起して大学に勤めることにする。1970年春に東京大学人文科学系大学院博士課程を中退し、27歳で明治学院大学文学部フランス文学科の専任になった。  

 

 はじめはさほど自分に向いた仕事だと思っていなかった。いわゆるアカデミズムがまったく性に合わなかったせいもある。けれども、このフランス文学科というのがアカデミックなところではないということが、一年ほどしてわかってきた。学部の学生諸君とのフランクな人間関係が可能だった。彼らとの出あい・つきあいによってこちらも得るところがあると感じたときから、研究、批評、紀行、エッセーなどの執筆活動と大学の仕事とを、両立・連続させることができるようになったようだ。

 

P.S.  その後、2000年にこのフランス文学科の大学院課程が開設されることになったとき、多少のためらいはあったが、芸術や思想を扱う「モデルニテ」コースで中心的に動くことを引きうけた。大学院のゼミナールでの活動も、以上に述べたのとほぼ同じ方針にもとづいている。

 

研究者・著述家としての自己紹介

 1943年1月7日、東京都港区高輪に生まれた。現在は世田谷に住んでいるが、中学3年のころまでくらした高輪とその周辺の土地柄がなつかしく、いまでもときどき歩くことがある。

 旧・東京市の南端に近い高台の町だから、坂や石段が多い。斜面にひろがる細い道々を進むにつれ、風景が移りかわってゆく。そんな不思議な空間体験が、その後の活動に関係しているような気がしないでもない。明治学院大学のある白金の町はその高輪のすぐとなりなので、このあたりの風土にちょっとした郷愁をおぼえ、それでここの専任になることをえらんだのだ──といってもいいほどである。

 

 幼少年期のことは「教授としての自己紹介」の項で触れたのでくりかえさない。ともかく「見ること」が好きで、ついでに「書くこと」「描くこと」も好んでいたから、しぜんと文学や芸術の方向へ進んできてしまった。「見ること」のなかには見えないものを見ることや、見えているようでじつは見えていないものを見ることもふくまれる。そんなわけで、いわゆる非現実的なものや非合理的なものへの傾斜も強かったせいか、早くからデ・キリコやエルンストやミロやタンギーやマグリットの芸術作品に惹かれ、大学に入るころにはすでに、シュルレアリスムの文学・芸術一般に親しむようになっていた。

 

研究者としての専門領域はいくつかある。

 第一に、アンドレ・ブルトンという20世紀の作家・詩人・芸術家。この人物が創始したシュルレアリスムという文学・芸術運動。これには何百人という文学者・芸術家たちが参加し関係していたので、一応、そのすべてが専門領域に入ることになる。 たとえば、フィリップ・スーポー、ロベール・デスノス、ルネ・ドーマル、ジョイス・マンスール、瀧口修造、澁澤龍彦といった作家・詩人たち。さかのぼってギヨーム・アポリネールなども、さらにアルチュール・ランボーなどもその先駆者として関心の対象になる。   

 また、マックス・エルンスト、マン・レイ、ルネ・マグリット、イヴ・タンギー、ルイス・ブニュエル、サルバドール・ダリ、トワイヤン、ヴィクトル・ブローネル、ハンス・ベルメール、ジャック・エロルド、マックス・ワルター・スワーンベリ、ロベルト・マッタといった画家たちも。ごらんのように世界各地から集まってきた人々なので、芸術上の専門領域のほうはフランス一国にとどまらない。  

 

 第二に、シャルル・フーリエという19世紀前半の思想家。マルクス、エンゲルスの評価以来、「空想社会主義者」あるいは「ユートピア主義者」というレッテルを貼られていた特異な思想家だが、そうした通念をこえて、この人物の作品を一個の巨大な文学世界としてとらえようとしている。周辺の作家や社会主義者、神秘家──フロラ・トリスタン、ペール・アンファンタン、エリファス・レヴィといった人々もまたこの領域に加わる。さらにボードレール、ランボーをへてブルトン以後の現代作家たちにおよぶ、フーリエのひそかな影響ということも考えに入れなければならない。   

 フーリエにはたしかに独特のユートピア思想があったが、それはプラトンやトマス・モア以来の「理想国家」論とは似て非なるものだった。理性にもとづいて構築される管理・統制された閉鎖社会としてのユートピア(現代の日本にもその徴候がある)に対しては、私自身、フーリエやブルトンとともに異をとなえている。したがってこの専門領域は、正確にはむしろ「反ユートピア」というべきものかもしれない。  

 

 第三に、シャルル・ペローとメルヘン(おとぎばなし)。ペローは17世紀後半の文人だが、ヨーロッパでもっとも早くおとぎばなしを文章化したことで知られる。フランス語でコント・ド・フェ(妖精物語)と呼ばれるこの文学世界が、のちに加わってきたもうひとつの専門領域である。ペローのほかオーノワ夫人、ボーモン夫人のような作家たち、さらに文学・美術・映画・漫画にわたるメルヘン的なもの、神話・伝説的なもの一般が、じつは早くから関心の的になっていた。  

 

 ところで、第二のユートピア(反ユートピア)にしろ、第三のメルヘンにしろ、第一のシュルレアリスムと底を通じるものとして、たがいに切りはなされることなく目の前にある。いずれも通常のレアリスム(リアリズム)とはちがう、夢や驚異や綺想につながってゆく傾向のある領域だが、それらをも一種の現実として、あるいは現実と地つづきの「超現実」として見ているのだといってもよい。

 

 ついでに、そんな「超現実」の思想が生活上のあれこれにも反映しているというところに、独自の立場があらわれていると考えられてよいかもしれない。批評家の四方田犬彦氏は「巖谷さんはシュルレアリスムの研究家として著名だが、研究対象というよりむしろ彼の物事を見る眼自体がシュルレアリスムの驚異の哲学を体現しているような人物である」と書いているが、たしかにそんなところがなくもないように思える。  

 

 そういえば「趣味」(ホームページ作成のためのアンケートの一項にあった)のことを書きわすれていたが、性来、この趣味というものがあるようで、ない。好きなことはみんな専門とつながって、不可分の一体をなしてしまうかのごとくである。そんなわけで、求められて書くテーマには、以上の専門領域に入らないように見えるものもあり、文学一般、美術一般、映画、マンガ、食物や住居やモード、都市、庭園、旅、等々へとひろがってゆく傾向もあらわれているが、しかし、それらもまたシュルレアリスムと連続するかぎりにおいてとられている、というふうに理解していただいてかまわない。  

 そのほか、1980年代からは旅行家・紀行作家としての活動をはじめ、最近はその関係の著書がふえている。また写真家としての肩書もあって、2000年以後、写真展をひらいていたりする。講演をすることも多い。だがそうしたすべてが自分のなかでは連続性として体験されている──ということもつけ加えておくべきだろう。 それにしても、今回のように細分されているアンケートに答えることはどうも苦手である。そこでやむをえず、各項について問われている大まかな方向をこちらで自由にとらえなおし、大まかな文章によって応じるという方法をとった。諒とせられたい。

1996/2007

ギリシア、ピレウス岬©Kunio Iwaya
ギリシア、ピレウス岬©Kunio Iwaya